ええっと・・・
まさしく「東京タワー」のパクリ。
【京都タワー -オトンと私、時々オカン-】と題しまして・・・これから少し書いていきます。
ま、いろいろとありまして・・・
ココにも何度か登場していますが、私のオトン。
現状、とてもよろしくないです。
で、なんだか急に書きたくなったので・・・^^;
私の病気とはなんら関係ありませんので、興味のない方はスルーでお願いします♪
・・・・
オトンは昔気質の料理人で、愛想という言葉とは無縁の人でした。
行儀には人一倍うるさく、小さい時は、いつも横に木刀を置き、
食事中にテレビを見たり、肘をついたり少しでも行儀が悪いと、
その木刀が飛んでくる・・・どちらかと言うとスパルタ?でした。
ただ、子煩悩ではあったような気がします。
共働きで夜に家にいない父親とのコミュニケーションは、朝、学校に行く時は、
「行ってきます」と寝ているおとんの手を取り、自分の頭の上に置くと、
オトンがなでなでと、動かし、それがいってらっしゃいの合図だった。
また、学校であったことなどを、家族で話す機会もほとんどなくて
親子で交換日記をつけたりしていました。
少ない休みの日だったけど、それでもいつも行き先を決めずにどこかへ
でかけ、道に迷ったりしながら色んな所へ連れて行ってくれました。
だけど、その反面、お酒を飲むと人が変わり
母親を殴る事もあり、大人になるにつれ、私はオトンを憎むようになりました。
「死ねばいいのに」
「別れればいいのに」と
母親に言った事も何度もありました。
中学以降は、もうほとんど口も聞かず、目も合わさず・・・ご飯さえも
一緒に食べる事もほとんどありませんでした。
私が高校2年のとき、オトンがくも膜下で倒れました。
それまで、風邪も引いたことがないような人が・・・突然・・・倒れた。
病院に駆けつけたとき、そのオトンを見て・・・単純に・・・
「どうしよう・・・」と思いました。
意外に冷静なオカン、血の気をなくした兄、動かないオトン。
13時間の手術を終え、出てきたオトンを見たとき、初めて涙が出ました。
頭には、何本ものチューブがつながれ、血が固まらないよう抜けるようになっていて
麻酔から覚めていくにつれ、そのチューブが痛いのか抜こうとします。
その度、看護婦さんを呼び、最後は両手を縛られました。
もう二度と元気な姿は見れないのかな?・・・ってすごく怖くなりました。
続く
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