私の病気とはなんら関係ありませんので、興味のない方はスルーでお願いします♪
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最初のガンは、エタノールで直接焼き殺す治療になりました。
そして無事に治療も終わり、ガンはなくなりました。
・・・が、肝硬変はどんどん進行し、体力もなくなり仕事もできなくなり
ほとんどを家で寝てすごすようになりました。
そしてとうとう、大好きだった酒を止めざるを得なくなりました。
週に2回の通院、点滴、検査を続けることまた数年。
今度は、食道静脈瘤破裂で、入院しました。
オトンは・・・「痛い」とか「辛い」とか「しんどい」とか言わない人です。
いつも「大丈夫」とか「まあまあ」とか平気な振りをしていたみたいで
家族もその言葉を信じていました。
でも、この静脈瘤が破裂する数日前から、体はちゃんと信号を送ってた。
オトンは下血していたのに、それをお医者さんにも、家族にも黙っていたのです。
もちろんお医者さんからも、家族からも大ブーイングで、こっぴどく叱られたオトン・・
言い訳は
「いや・・・なんか、黒いな~とか、痔かな~とは思ったけど・・・
ワカメでも食いすぎたんか?くらいに思ってたんや~」とヘラヘラ笑っていました。
それ以降、オカンはオトンと一緒に病院へ通うようになりました。
点滴しながら、看護師さんに冗談を飛ばし笑って話しているオトン。
その横でお医者さんに最近の様子を説明するオカン・・・。
オトンの体調は、オトンの顔色や食欲などから判断するしかなかったのです^^;
私は、家を出ているので、家族と毎日顔を合わすわけではないんだけど
時々実家へ帰ってオトンを見ていて、本当にしんどそうでも
「しんどい」とか言わない事を・・・
男の人というのはこうゆうもんなんだろう・・・と思っていました。
今思うと、それは男の人だからではなく、オトンだから・・・だったような気がします。
オカンも病気を抱えて、文句も滅多に言わず、働けなくなったオトンを支え
ちっこい体にムチうって働いて、それを何もできずに見ている病人もまた平気では
ないと・・・やっぱり思いました。
いろんな思いや、小さな変化はあったものの、家族は誰も『死』を意識してなかった。
病気だけど、平和な日がまだまだ続くと信じてました。
続く
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