私の病気とはなんら関係ありませんので、興味のない方はスルーでお願いします♪
・・・・・
1度目の食道静脈瘤破裂から・・・・
体の衰弱は進んでいきました。
腹水もよくたまるようになり、入院する事もそれまでは年に1回程度だったのが
半年に1回、3ヶ月に1回・・・と増えていきました。
そんなある日オトンが言いました。
「この前先生にあと10年くらい生きられるか?って聞いたらな~
「それは無理ですね~・・・せめて5年見といて下さい」やて~
ひどいやろ~。でもな~もうそれから2年経った(笑)」
・・・・
「あほちゃう~」
笑って答えたけれど、私はこの時初めてオトンの死を意識しました。
それまでオカンにも聞いた事がなかったけど、聞いてみました。
「なあ、お父さんって・・・あとどのくらい生きられるん?
なんか、5年とかあほみたいな事言ってはるけど・・・」
すると・・・
「あ、あれは本当やで。10年は無理やろうって言われた。まあ、ようもって5年
とりあえずそう思って下さい言われた」
「・・・・マジか・・・よ・・・」
普通・・・なんか、もっとこう、家族で話し合うとかあってもよさそうなものですが
うちにはそうゆう家族会議的なシステムは存在せず・・・
何だかはたから見るととても不思議だと思いますが、お気楽というか
ま、誰もが病気を抱えているので、いちいちその事について話し合う習慣がないらしい。
何かがあってもなんとかなるやろ~って空気が漂っています。
私自身も、病気の事を親に細かく説明した事もないし、聞かれた事もない。
親と一緒に病院へ行く事もないし、入院した時も一人で病院へ行き、手続きもし、
手術の事も後遺症の事も手術前に医者の説明を聞いて初めて知ったうちの親。
手術当日も、テレビドラマみたいに誰かに手を握られ「頑張って!」な~んてシーンを
想像したけど・・・
もちろん!私ひとりぼっち(笑)看護師さんに手をつながれ、同室のおばちゃん達に
励まされ手術室に向かった・・・
「来なくていいから」と言ったのは私でしたが、さすがにちょっと寂しかった(笑)
目が覚めた時も誰もいなかったような気がします^^;
オトンは、私が入院した時も、手術する時も無関心を装っていました。
病室に来ても、落ち着かず
「先に降りてる」とオカンを残しとっとと病室を後にするし、
もちろん、手術の説明などはオカン任せで、何にも参加しませんでした(笑)
手術後も変わらず、「どうや?」とは言うものの、目も合わせないし、すぐ消えるし。
けど、その後姿には「心配だ・・・」と書いてありました。
元気になったあと
「冷たかったな~」と冗談っぽく言った私に
「なんか見てられへんかったんや!」と照れくさそうに言ってました。
声が出なくなった私の為に、メールを必死で覚えたり、
電話してきて、話せないのに、それでも必死で声を聞き取ろうとして
何度も何度も、こうか?ああか?と私の言葉を捜したりしてくれたのは
誰でもなく、オトンだった。
私の退院から1ヵ月後、オトンの入院も決まっていました。
今回も、食道にできてる静脈瘤を取り除くための入院だったのですが・・・
入院予定の1週間前・・・
また破裂してしまい、今度は吐血し緊急入院となりました。
続く
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