うちのリンクはメロ友達のブログをリンクしているのですが
その中にある、
産婦人科残酷物語Ⅱ
いつも面白おかしく読ませて頂いてるのですが
昨日の記事は少し考えさせられました。
確かに報道などで取り上げられるものの大半は患者側の気持ちばかりで
医療現場の気持ちが表に出ることはほとんどないのが現実ですね。
私自身もココでお医者さんに対して愚痴ったり暴言吐いたり
しまくっているので偉そうな事は言えない・・・
手術してすぐの頃、やっぱり後遺症が残ったこと・・・
他の外科医に手術してもらった人に後遺症がなかったことで
かなり落ち込んだし、自分を手術した外科医をやっぱり責めた。
11月の記事
もちろんそれを直接言った訳じゃない。
口に出来なかったのは、命があったからだと思う。
何かと何かを天秤にかける余裕が少なからずあったからだと思う。
それを『理性』と言うのなら、命があったから『理性』があったんだと思う。
時間が経って、後遺症も軽くなってきた最近になって、ようやく感謝するという
気持ちが薄っすらでも、わいてきたのは確か。
でもそれが「命」になると・・・冷静でいられない自分もやっぱり存在すると思う。
やっぱり今は父親の事が大きいかな。
考えると嘘みたいに泣ける。動揺するし落ち着きがなくなる。
ぶつける所が欲しいと、頼みの綱が欲しいと、すがるものが欲しいと思う。
そんな毎日を送ってると、きっと人はおかしくなる。
冷静でいられなくなる。
矛先は、目に見えない神様じゃなく、目の前にいるお医者さんになる。
何とかして欲しい、何とかならないか・・・
だからって何を言ってもいい訳じゃない。
だけど死に直面すると、人は変わる。
自殺であろうと事故であろうと病気であろうと・・・責める何かが欲しいんだと思う。
そうしないと乗り越えられないんだと思う。
暴言を吐はかれた相手が胸を痛めるなら
暴言を吐いた方も、いつかその事に胸を痛めるはずだと私は思う。
それに気付くには・・・やっぱり時間がかかるだろうけど・・・
もしも自分が病気になってなかったら・・・後遺症もなく元気だったら・・・
父親が病気じゃなかったら・・・
いつも楽しく読んでるブログの内容が「今日はシリアスだな・・・」と
さらっと読み流していたかもしれない。
医療従事者だって人間だから感情があって当然だよね。
「命」に携わる仕事はやっぱり本当に難しいし大変だと思う。
生きることは難しいって言うけれど、死を受け入れる事は生きる以上に難しい。
だから何が正しいとか正しくないとか答えなんて出ない。
何が言いたいわけじゃないんだけども、何だか考えさせられたな・・・って
暗くなっちゃった?
昨日オカンから電話で
「お父さんが、色々心配かけて迷惑かけてごめんなって言うの・・・」って
それを言った父親の気持ちも、それを聞いた母親の気持ちも
痛いほどわかるから、悲しくなっちゃって・・・
慰める役回りの私がだだ泣きしちゃって、逆に母親に慰められちゃって・・・
駄目な私。
その後のこの記事だったから・・・何だか余計に考えた。
どうしようもない・・・だけど
何もかもが悔しい。今はその言葉に尽きる。
心の隅、片隅に生まれた黒い今はまだ小さな塊が
そのうちどんどんどんどん大きくなって
爆発したら自分がどうにかなるんじゃないかと不安になる。
笑おう・・・笑わなきゃ・・・じゃないと・・・
嫌な想像ばかり頭の中巡るの。・・・したらまた涙がどんどん出て
自分がどうしようもなくなってコントロール不能。
抜け出すために笑うのだ~!!!
軽く壊れ気味になってしまった
今日はこの辺でやめとかなきゃ・・・ね。